LIFE(生と命・愛について) way of life

僕は身体障害者

僕は身体障害者 

絶望する少年【過去の自分】僕の体には障害がある。ギターを弾いたり筋トレしたりしたい・・けど、ポンコツだからできないだろうな・・・ 絶望する少年          絶望する少年

僕の体には重い障害がある・・諦めるか?

僕は身体に重い障害を負って生まれてきました。

絶望の中に長い間いました。孤独どころでなく、孤立していました。

世界にこんなにたくさん人間がいるのになんでこんな独りぼっちなんだって。

僕の障害は腕神経叢損傷(わんしんけいそうそんしょう)といいます。簡単に言うと左腕があまり動かず、長さも太さも違い、日常生活には結構な支障をきましています。神経が絡み合って脊髄からも引きちぎられてしまっているので、現在の医療では治癒は見込めません。生まれたときの災難、「分娩事故」と呼ばれるものによります。

「お産の際、骨盤位分娩や肩難産の際、児頭か肩が産道の狭窄部にとらえられたまま、分娩操作で頭と肩が引き離されるような力が働いて腕神経叢が伸張され、損傷します。分娩による腕神経叢損傷は分娩麻痺と呼ばれます」(日本整形外科学会HPより)

 

数えきれないあきらめと、苦難や悲しみがありました。今もあります。これは乗り越えるとか忘れるとか、そういう話とは無縁です。ハイハイ出来ない赤ちゃん、あれできない、これもできない、何もできない…あきらめや絶望がいつも自分のなかに渦巻いている状態です。悲しいですよね。

でも実際は少し違います。全くの絶望でもなかったんです。

バンドを初めてギターを始めて、バンドを組んで、作曲して、アレンジして、レコード会社に就職して、CDの制作やゲームを作って、それで給料をもらっていました。

また、筋トレもずいぶん殻に閉じこもってましたが、結果的に今、ジムへ通い、人に指導できるくらいにもなり、自分の体も少し隆々となりました。

諦め続けた昔の自分からは想像もできません。

世間でいう大それた実績ではないのですが、障害を持った人間の成果としては目標の達成はできたんです。

でも先も言った通り、すべて乗り越えて、気分が爽快に晴れているわけではありません。いつだって劣等感だし、いつだって、動かないで嫌な思いも、辛い思いもしています。

「自分より辛い思いをしてる人」のためにやる

ただここで言っておかなければならないのは、「自分より辛い思いをしてる人」がいるということです。そう、それ(僕)を産んだ母親、また父親です。

障害を持っている人はここを忘れちゃダメだと思います。

僕の親は、何度か節目で涙ながらに「替わってやれるもんなら替わってやりたい」と言って号泣しました。そういう姿を見て、僕は自分より深い哀しみを感じました。どうにもできないんですよね、親といっても自分の体じゃないし。その悔しさもあるんですねきっと。

だとすると、もし僕自身が自分の障害を気にしてなにもできず殻に閉じこもってたら結果的に誰も幸せにならないんだなという帰結しか残らないんですよね。

だから、もうなにかしたいと、焦りだします。ちょうど、中学校2年くらいからそういう自我に目覚めだしました。結果を出すしかありません!じゃあどんな結果を目指したか、ここから始まります。

今の自分ようのうな人間がいてくれてたら・・・

現在、結果はでました。音楽を作ってきて、CDをリリースしてギターも商売として弾けてますし、体も隆々と作り上げてきました。満足とは言えないまでも負けてはいません。

一つ強く思います。

もし今の自分ようのうな人間がアドバイスしてくれてたら僕はもっと早く挑戦できていただろうし、この程度の成果であれば、20年早く達成できたと思うのです。

だから、僕が通ってきた遠回りが多かった軌跡を背景に、もし同じように体に障害があって、なにもできないと思ってる人がいたら大いに背中を押したいし、体に障害がなくても、いろんな自分の環境で落ち込んでたり、なにもできない人がいたら、やれることは山ほどあるし、変わらないことなんか無いっていうことを少しでもわかってほしいと思います。

体を動かすのは嫌いじゃなかったから、実は中学からはサッカーをやってたのですがそれまでは障害のある子どもということで、勉強第一、身体を使わないようにという教師などの指導の元、勉強第一で結構ガリ勉をしてました。でもいよいよ自分の体が大人になっていくにつれ焦ってきます。

サッカーは続けるにせよ、腕を使わないでいいという逃げから発想した経緯があるし、実は腕が一本動かないと体のバランスが非常にとりづらくなって、足のスポーツとはいえ、なかなかうまくいかない部分も多かったです。

で、高校に入り、いよいよ焦りもMAXになりました。サッカー部には流れで入部しましたが、その他でいろんなきっかけや原因があり、「ギターを弾く」ということに強烈な憧れを持つようになりました。中学まではがり勉だったから成績もよかったものの、ギターを弾くと決めてからは余りあるすべての可処分時間をそこに投じるようになりました。自分で曲を書こうとか早速思い、そうなると集中力は増すばかりで不登校になった時期もあります。たしかSEEKというタイトルの曲を最初に書いたと思います。

大雑把な流れでいえば、ここからずっと音楽とは付き合っていきます。サッカーは高校までで辞めました。もちろんギター弾くとか言っても動かないので、抑えられないコードとか、弦とかがあるわけで、鬱蒼とはしてましたが、とにかく続けます。簡単なこと、簡単な基礎を何度も繰り返します。

参考にしたのは国内ではTHE MODS、海外ではU2とPrinceでした。

続けられたのは、楽しいからというのもありますが、もっと心の中、根っこのほうで、

「できないことばかり」 の絶望から、

「できることのすべてをやったらどうなるのか、どこまでできるのか」

という、希望に似た何かが見えてきたからだと思います。

17歳のバンドということでオリジナルを演奏するバンドもほぼなかったから、県のYAMAHAのコンテストなどでも結構チヤホヤされた時もありました。そうなると、いわゆる調子に乗り出します。

<音楽で食っていこう>

「勘違い」が始まります。

でもこの、「勘違い」こそが重要なんです!

「勘違い」こそが重要:「偉大なる勘違い」

言葉を替えれば、

「自分を信じること」だし、「あきらめず信じ続ける」ことだし、「信念」とも読めるし、個人が生きるアイデンティティーの多くが養われる「意思」があるから、とても重要で、目標の達成には欠かせない気持ちなんですね。僕はその意思がしっかり乗った勘違いを「偉大なる勘違い」と呼んでいます。

僕は高校時代まったく勉強しなかったので、大学はいわゆるF大にしか入れませんでした(笑)。でもバンドが自由にできる4年間ということを念頭にとにかく大学に入らないとダメだと思い、ギリでF大に入りましてバンドを続けます。

しかし卒業と同時にバンドのメンバーはみんな就職し、また一人取り残され、半年ニートしながら、22歳の冬に大手レコード会社にバイトで入ります。

ここからの経緯は高速早回しです。(笑)突き抜ける勘違いで奔ります。

二年で社員になりました。24の時です。

超有名バンドのマネージメントやPlayStationのソフトを作りました。

レーベルに異動になり多くのレコーディングセッションをこなしました。

10年たった時に会社を辞め、アイルランドへ行き、UilleannPipeの奏者になることを目指しました。

腕の障害で挫折しました。まともに演奏できませんでした。

帰国して、まあまあいろいろあって今に至ります。(超早回し)。

できる事のすべてをやってきた:今後もやる

「究極の勘違い」をしながら、できる事のすべてをやってきました。音楽についてはそこそこできたと思いますし、今では自分で作曲作詞、編曲、エンジニア、演奏をすべて行いながら、自分の作品をリリースしています。まだまだやります。

体も同じ発想で、「できることは全部やtってみよう」と思い、最初は家の中でコソコソ始めました。自重とチューブを使った今思えばずいぶん適当なyトレーニングです。

やはり腕が動かないコンプレックスは消えないから、最初から行く勇気はなかったですね。怯えた野良犬みたいに、おそるおそるジムへ行って、きょろきょろしながら、見よう見真似ではじめました。

音楽を始めたときもそうですが、まず最初になにがどうなってるかなんてわからないですよね。弦の張り方さえ。

トレーニングも同じで、ほうれん草食べれば筋肉がつく!なんて思ってたくらいですから、無知もいいところです。

まだ自分が始めたときはググることもネットでの情報も少なかったのでもっぱら本で学びだします。

間違った方法、食生活、でたらめでしたが、続けました。細く短い障害ある腕をかんとか、太くしたい。右腕の負担を減らしたいとか、思いましたね。

すぐに結果などでないし、さぼてったら何の成果も得られないからとにかく、週三回、一時間のワークアウトで密度濃く数年続けることを誓い、同時にプロテインをはじめとするサプリメントの学習、実際のトレーニングの方法などを模索しながら続けました。途中、格闘技道場のPANCRASE P’sLAB(広尾にあった)のアマチュア会員としてお世話にもなりました。(広尾から移ったのでそこで格闘技は休止しましたが、筋トレは続けました)疲れてても少し怪我しててもやるんです。

とにかくやってやってやりまくって、怪我したらやめればいいっておもってやりました。根性って必要な時多いですよね。もう根性論だらけです。しかも独りぼっちだと本当に大変な作業であることがわかります。

今、51歳です。まだ体は隆々さを維持できていますし、音楽も続けています。まだできることがあるはずです。やりたいこともあります。

人間がもつ可処分時間はそれぞれ限られてて、僕は自分の障害についていつも考えながら、音楽と筋トレという成果を究極的に目指して結果を出してきました。

最後にあなたへ

僕のような障害を負ったあなたへ

君よりも悲しんでいる人がいる。その人をさらに哀しませてはいけない。

Don’t Wish, Do It.できることのすべてをやってから諦めよう。

僕のような障害を負ったお子さんを持った親御さんへ

大丈夫です、できることは山ほどあり、多くの事は達成できます。

たかだか障害に負けないでほしい。


音楽の作り方、ギターの弾き方、筋トレやフィットネスのやり方、サプリメントの情報、など、いろんな情報を発信しながら、力になれたら幸いです。

年齢とか性別とか、国籍も関係ありません。やりましょう。自分を生かしましょう。

人生は非常に短いです。みんな死にます。その前に、親からもらったそのオリジナルな心と体を全部、

自分んも命のすべてを使い切りましょう。

 

 

 

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